学会との35年間の関り

私は, この学会には医学部卒業の翌年(1972年, 昭和47年)から会員として参画してきた. 大学から派遣された最初の研修病院が関西労災病院であり, 部長が故松永亨先生, 病院長が長谷川高敏名誉教授であったので, 必然的にめまいが主題となっていった. この病院に在職中にバラニー学会が京都で開催され(5th Extraordinary Meeting of The Barany Society, 1975), 上司である松永亨先生は, 森本正紀会長(京都大学)の下でTreasurerとして募金に奔走されていた. 私自身は, 初めて英語で発表する機会を得て, 英会話を含めて数ヵ月にわたる周到な準備...

Full description

Saved in:
Bibliographic Details
Published in:めまい平衡医学 Vol. 66; no. 6; p. 344
Main Author: 久保武
Format: Journal Article
Language:Japanese
Published: 日本めまい平衡医学会 01-12-2007
Online Access:Get full text
Tags: Add Tag
No Tags, Be the first to tag this record!
Description
Summary:私は, この学会には医学部卒業の翌年(1972年, 昭和47年)から会員として参画してきた. 大学から派遣された最初の研修病院が関西労災病院であり, 部長が故松永亨先生, 病院長が長谷川高敏名誉教授であったので, 必然的にめまいが主題となっていった. この病院に在職中にバラニー学会が京都で開催され(5th Extraordinary Meeting of The Barany Society, 1975), 上司である松永亨先生は, 森本正紀会長(京都大学)の下でTreasurerとして募金に奔走されていた. 私自身は, 初めて英語で発表する機会を得て, 英会話を含めて数ヵ月にわたる周到な準備の後, 無事に発表を終えた. この時初めて何人かの外国の先生とも知故を得えることもできた. バラニー学会はその後ロンドンでも開催された(6th Extraordinary Meeting of The Barany Society, 1977)が, ここへも松永亨先生, 松永喬先生と共に参加させて頂き, 始めての外国での発表という貴重な経験が得られた.
ISSN:0385-5716